マカオやモナコ、シンガポール、世界にはいくつもの有名なカジノがあり、近年ではオンラインカジノも進化して、プレイヤーの選択肢は増え続けています。
しかし、数あるカジノの中でも世界最高のカジノはどこかと尋ねれば、多くの人が口を揃えて同じ答えを返します。
そう、ラスベガスこそが世界最高のカジノリゾートであるということは、ギャンブルなんてまっぴらごめん、とカジノから縁遠い人達にすら浸透しているほどの共通認識です。
しかし現在の知名度の一方で、この都市の成り立ちに関しては驚くほどに知られていません。
前世紀初頭、ネバダ州の砂漠に囲まれた交通中継地点に過ぎなかった小都市が、一体どのようにして世界最高のギャンブルシティへと変貌を遂げたのか。
ここでは、その歴史を辿ってみたいと思います。
砂漠のオアシス
1848年に、アメリカの南西端に位置するカリフォルニア州で金が発見されました。
この報せは、瞬く間にアメリカ国内に広がり、ゴールドラッシュが起こります。一獲千金を夢見て、実に15万人にも及ぶ人数が、他地域から陸路で西海岸を目指したとされています。
砂漠の中にあって、コロラド川にほど近く水の豊富なラスベガスは、金を目指して西進する人々にとっては文字通りのオアシスでした。こうした背景から、この土地に定住をする人が現れるようになりました。
鉄道狂時代
1800年代にイギリスで実用化された鉄道は、すぐにその産業インフラとしての実効性が認められ、アメリカや他のヨーロッパ諸国に広まっていきました。
特に19世紀後半から20世紀前半にかけては、世界中で猛烈に鉄道網が整備され、この頃アメリカでは、年間1万kmにも及ぶペースで新たな線路の敷設が進みました。
東から西へと鉄道の整備が進んでいったアメリカでしたが、20世紀に入る頃には爆発的な鉄道網の拡充も終盤に差し掛かり、西海岸沿いを中心にして開発が行われていました。
そして1905年には、ユニオン・パシフィック鉄道が、二つの大都市ロサンゼルスとソルトレイクシティを結ぶ新たな路線を開通。
ちょうどその二都市の間にあり、蒸気機関車の給水地ともなっていたラスベガスは、線路の敷設に従事する労働者達の聖域となっていました。
しかし、この状況を受けて、都市の発展は急速に進むも、その裏ではギャンブルや売春が横行するという病理も抱えていました。
結局、ラスベガスの犯罪行為を問題視したネバダ州当局が、取り締まりを強めるまでにはさして時間はかからず、1910年からラスベガスでのギャンブルは禁止されることとなりました。
賭博合法化
1929年、株式大暴落に端を発する世界恐慌が全米の経済を襲います。
砂漠地帯で大きな産業もないネバダ州は、経済活性化と財源確保のために、1931年に州内での賭博を合法化しました。
ラスベガスでは、1910年の賭博禁止令の後も、地下で違法に行われるギャンブルが後を絶ちませんでしたが、合法化されたことで、より一層盛んに遊ばれるようになりました。
経済政策の後押し
さらに同じく1931年、時の大統領ハーバート・フーバーがコロラド川へのダム建設事業を決定しました。
後にフーバーダムと呼ばれるこのダムは、現在日本に存在する約2700基のダムの貯水量を合計したものを、ただ1基だけではるかに上回る貯水量を誇る超大型のダムでした。
5年の歳月を費やし、100人近くの犠牲者を出しながら竣工に至るこの空前の建設事業により、ラスベガスは大いに賑わうこととなります。
さらにダム完成後の世界大戦中には、水力発電による安価で豊富な電力を利用し、エリア51などが有名ですが、軍事基地や実験場などの施設が町の近くに次々と作られ、その関係者達が一層町を潤わせるのでした。
斬新なリゾート型カジノ
終戦後の1946年に、従来の賭場やカジノとは違うコンセプトのカジノ施設が、米マフィアのベンジャミン・シーゲルの構想の元に作られました。
フラミンゴ・ラスベガスという名で現在も運営を続けられているこのリッチなカジノは、当時は極めて珍しい全館エアコンのホテルに、レストランやシアターも併設したIR施設の走りともいえるもので、当時で600万ドル、現在の価値に換算すれば約8700万ドル(96億円相当)もの巨額の費用を費やして建設されました。
しかし発案者のシーゲルは、客層として従来通りの富裕層をメインターゲットにした経営を行い、これを空振りに終わらせてしまいます。
残念ながらシーゲルの元では、フラミンゴの経営が軌道に乗ることはありませんでしたが、後任の経営陣が打ち出した大衆向けの低価格路線が、戦中の数年もの間、禁欲的に抑圧されていたアメリカ国民に強くアピールすることに成功し、大当たりとなりました。
配給を受けて暮らすような厳しい生活の後に、見たこともないような贅を尽くした空間で遊ぶというその体験に、当時の利用者達がどれほどの刺激を感じていたのかは想像もつきませんが、全米から客が押し寄せるほどの大ブームを巻き起こし、フラミンゴはわずか1年でその総工費をペイするほどの収益を上げることとなります。
今日のラスベガスへ
フラミンゴ・ラスベガスの大成功。
建設事業者、ホテル事業者や他のマフィアなど、二匹目のドジョウを狙ったものが大勢いたのは言うまでもありません。そしてリゾート型カジノが乱立していった結果、世界でも類のないギャンブルシティへとラスベガスは発展を遂げていきました。
地理や政治など、色んな偶然が重なってできた土台の上に、新しいアイディアでカジノを作る人が現れた幸運によって、現在のラスベガスはできあがったと言えるでしょう。
純粋にカジノでのギャンブルを目的とせず、観光目的で訪れる人が多いのもラスベガスの特徴です。
そしてそういう人達がカジノを訪れたときに、決まって遊ぶのがスロットです。
世界のカジノの中でも、スロットゲームでジャックポットを引き当てた人の記録は、数でも額でもラスベガスが頭一つ抜けていますが、これもそういった理由によるものでしょう。
もし、みなさんがラスベガスを訪れることがあったなら、そのときはぜひスロットで運試しを。